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コラム「古典に咲く花」 第9回「樗/楝」

2024.05.25 / 月野木若菜
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樗/楝(おうち)は、温暖な海岸近くに育つ大樹。初夏に若葉を茂らせると青みがかった薄紫の小花を咲かせ、ほんのり甘い香りを漂わせます。遠目には梢に紫のモヤがかかったようにも見える美しい花です。淡い藤色から「あはふぢ」と呼ばれ、それが「あふち」に変化し、やがて「おうち」になったとも。

紫色好きの清少納言が見逃すはずはなく、「木のさまにくげなれど楝の花いとをかし」(木の様子は不格好でも楝の花はとても趣がある)と、『枕草子』に書き記しています。

『徒然草』には、樗が登場するちょっと可笑しなエピソードがあります。場面は、5月5日上賀茂神社の「競べ馬(くらべうま)」。

参道の脇の芝生を二頭の馬が駆け抜け速さを競う葵祭の神事です。何しろ一大イベントですので、参道は見物客で立錐の余地も無いほど混み合っていたようです。いつの世にもちゃっかりした人は居るもので、一人のお坊さんが向かい側の樗の木によじ登り、高みの見物を企てます。ところがこの人、樗の木の上でどういう訳か眠り込み、木から落ちそうになってはハッと目を覚まし、慌てて枝にしがみついたり、懲りずにまたうとうとしたり…という始末。反対側からその危なっかしい有り様を見ていた人々は、「世のしれ物かな」(なんて愚か者か)と軽蔑して嘲笑います。

そのとき兼好は咄嗟に、「我等が生死の到来ただ今にもやあらん。それを忘れて物見て日を暮す愚かなる事はなほまさりたるものを」と言い放ちます。つまり、(死が訪れるのは今かもしれないのに、それを忘れて何かの見物をしては日を暮らしている私たち。その愚かさは、木の上のあの法師以上だ)と、人を嘲笑う民を諭したのです。

『徒然草』のその続きは…と言いますと、兼好の説話にいたく納得した前の方にいた人たちが、「本当にその通りでございます。いかにも愚かです。どうぞこちらへお入りください」と、競べ馬がよく見える特等席をあけて兼好を招き入れるのです。きっと兼好は、「いや、これはこれは」などと言いつつも、まんざらではない感じで着座したのではないかと私は勝手に想像します。兼好の人間臭さも感じられてちょっと面白いくだりです。

さて、5月26日は日本ダービー。樗の花影に古へ人が腰掛けているかもしれません。

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華道家 中村俊月 Shungetsu Nakamura
Shungetsu Nakamura
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