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「古墳と植物の共生 その1」森のような仁徳天皇陵古墳、古代の姿を伝える八幡塚古墳、四季の花咲く津堂城山古墳

2023.02.06 / 郡 麻江
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写真:仁徳天皇陵古墳。最近の調査では墳丘長500mを超えるとされる仁徳天皇陵古墳。墳丘は3段に築成され、三重の濠がめぐり、周囲には10基以上の陪塚(従者の墓という意味の小さな古墳)がある。古墳の上は見ての通り、モリモリの森だが、それは築造当時の姿とは大きく異なる。

3世紀中頃から6世紀後半頃にかけて、古墳は日本全国に築造されていった。古墳といえば、2019年に大阪府の百舌鳥古市古墳群が世界遺産に登録されたことが記憶に新ただが、つい最近、奈良県の富雄丸山古墳で、過去に例を見ない盾のような形をした青銅の鏡や、2mを超える鉄剣が見つかり、大きな話題となっている。

約1500年もの間、健気に残ってきてくれた古墳と植物には、深い関係がある。その関係について書く前に、まず、古墳とはなんぞや?ということから書いていきたい。
 
筆者は2019年に世界遺産に登録された「百舌鳥・古市古墳群」のガイドブックを書いたことをきっかけに、公私共に「古墳沼」にハマってしまった一人。毎週末はどこかの古墳を訪ねるほどの古墳好きになってしまい、勢い余って、添乗員の資格を取得し、ライターをしながら、全国の古墳や古代遺跡を訪ねる専門ツアーのツアーコンダクターをするというダブルワークな生活を楽しんでいる。

古墳の一体何がそんなに面白く、魅力的なのか?まず、古墳とは?ということだが、冒頭にも書いたように、3世紀中頃から6世紀後半(7世紀という学説もある)にかけての古墳時代に築造されたもので、前方後円墳を代表とする墳丘を高く盛り上げた「お墓」のことを言う。

しかし私たちがお墓参りに行くようなお墓とは大きく異なり、その地域の首長、広くは国の首長=大王を埋葬するための巨大な墳墓で、その代表的なものが仁徳天皇陵古墳である。

写真の仁徳天皇陵古墳は「百舌鳥古墳群」を代表する1基で、墳丘長は500mを超え、国内最大の大きさを誇る前方後円墳で、エジプトのクフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵とともに世界三大墳墓の一つに数えられている。

古墳には仁徳天皇陵古墳のような前方後円墳をはじめ、円墳、方墳、前方後方墳などさまざまな形がある。特に前方後円墳は日本生まれ、オリジナルの墳形とされ、奈良の箸墓古墳が前方後円墳としては最古とされている。

古墳は東北地方から九州地方にかけて、日本全国に約16万基あるといわれている。なぜそんな膨大な数の古墳が築造されたのだろうか?

4〜5世紀になるとヤマト王権という巨大な勢力が現れ、国を統一していく動きが加速した。それに伴い、一定のルールのもとで墳墓を造ることが、ヤマト王権とその地の連携のシンボルとなり、やがてそれが全国に展開していったと考えられる。

おおよそ1500年前の祖先が、知恵と力を結集して造り上げた、国造りに前進するための巨大なモニュメント、古墳。それがリアルにそのまま残されていて、見るだけでなく、中には墳丘に登ったり、横穴式石室にも入ることができて、古代を肌で体感することができるのだ…!しかも全国で16万基もの古墳があるわけだから、一生かかってもコンプリートできない壮大な面白さがあるじゃないか…!というのが、古墳の醍醐味の一つといえる。

さて、古墳と植物の関係に話を戻そう。もう一度、仁徳天皇陵古墳の写真を見てほしい。びっしりと木々が生えて、墳丘はほぼ植物に覆われ、モリモリの緑の森に見える。教科書などに載る古墳の写真も大体、緑に覆われているので、古墳=緑色というイメージを持っている人は少なくないだろう。
 
でも、それはちょっと、というかかなり事実とは異なる。古墳は古代、築造された当時は、緑の森ではなく、灰色がかった、とても人工的な色をしていた。

写真:八幡塚古墳。葺石を再現した群馬県保渡田古墳群の八幡塚古墳。テラスと呼ばれる段築にずらりと並ぶ埴輪列も再現されている。

群馬県保渡田古墳群の八幡塚古墳は当時の姿に復元されているが、見ての通り、全然、モリモリの森ではない。土を盛り上げた墳丘の表面に河原石などの葺石(ふきいし)と言われる石を積み上げていたのだ。森とは程遠い、まさしく人工的な造形といえる。

周囲に威容と権威を誇ってきた古墳だが、長い年月の間に、墳丘に鳥たちが種子を含んだ糞を落とし、風が種子を運んできて、植物が芽吹き、根を張って、やがて墳丘全体を覆われていった。

こんもりとした森のような姿になった古墳は、周囲の風景に溶け込んで、一見、小高い丘のような佇まいで、私たち人間の暮らしに寄り添ってきたのだろう。

しかし、時代ごとに土地の支配者が変わり、畑や果樹園に利用されたり、薪取りに使われたり、時に形を崩されて山城になったり、人の手で植林が行われるなど、さまざまな改変を受けてきた。「○○天皇陵古墳」として、天皇の陵墓として宮内庁に管理されてきた古墳以外は、線路や道路の開通や宅地開発などによって真ん中でばっさり切断されたり、土取りのためにごっそり削られたものや、墳丘そのものが消滅したものも多く、過酷な運命を辿った古墳も少なくない。

また、日本という国は、湿気が多く、峻険な山々からの水で土地は潤って、また、土壌も肥沃なため、植物圧が非常に強い風土だといわれている。豊富な農作物が収穫できる反面、人の手のケアから離れるとその土地は植物圧が力を発揮し、すぐに雑草が生えて、鬱蒼とした森になっていってしまう。古墳は眺望の良い立地に築造されることが多いので、日当たりもよく、生命力の旺盛な植物たちに覆われてしまいやすい。

保渡田古墳群の八幡塚古墳のように、古代の姿に再現された古墳を除いては、強い“植物圧”によって、多くの古墳はたくさんの植物に覆われてしまっている。その植生もさまざまで、カシやナラ、クヌギ、スギなどに覆われて森のように見える古墳、小熊笹と呼ばれる背の低い笹が全体に生えた古墳、管理する行政区の緑化計画に沿って桜や梅、四季ごとに花々を植えて、花咲く古墳になっているものなどがある。

■津堂城山古墳

撮影:保田紀元。春先に咲きみだれるユキヤナギ。奥の古墳の墳丘には紅梅と白梅が咲いている。

人の暮らしの発展と共に、姿を消した古墳も多いが、そんな中でも健気に残ってくれている古墳も数多くある。藤井寺市教育委員会文化財保護課主幹(世界遺産担当)の山田幸弘さんに古市古墳群の中の魅力的な古墳を2基、案内してもらい、植生と古墳の保存のあり方について教えてもらった。

春になると真っ白なユキヤナギが一斉に花開き、その後、満開の桜が咲き誇る幸せな古墳が古市古墳群(藤井寺市・羽曳野市に展開する古墳群、世界遺産)にある津堂城山古墳だ。4世紀後半に築造され、百舌鳥古市古墳群全89基の中で、最も古くに築造された前方後円墳で、墳丘長210mを誇る巨大古墳だ。

築造されて1500年前後、現在の姿になるまで、津堂城山古墳をはじめとする古墳たちはどのような変遷を辿ってきたのだろうか。世界遺産登録はもとより、長年、古墳の保存に取り組んできた山田さんは、「古墳の場合、特に樹林の根っこが墳丘の深くまで張ってしまうと、古墳自体が崩れてしまう危険性があります。また日が遮られて、雑草が全く生えなくなるとそこは裸地(らち)となってしまい、表面の土が崩れやすくなります。古墳の保全と植物のあり方はとても深い関わりがあるといえます」と話す。

津堂城山古墳の場合、墳丘の東側を中心に緑化計画に沿って、さまざまな植物が植えられている。1月の末ごろから紅白の梅が咲き、雪柳、菜の花と続き、いよいよシーズンとなれば、桜が咲き誇る。新緑の季節を迎えるとつつじが真っ赤に燃えて、古墳の周濠(墳丘の周りの濠になっている場所)では菖蒲や睡蓮が次々と咲き乱れ、秋になると美しい紅葉が楽しめる。真冬以外は、ほぼ花や木々の彩りがずっと目を楽しませてくれる、まさに花咲く古墳といえる。

撮影:保田紀元。菜の花、ツツジ、菖蒲と花々が咲き続け、お花見がてら訪ねる市民の憩いの場となっている津堂城山古墳。

墳丘の西側にも桜並木があり、周濠では犬の散歩に来る人やこどもたちが遊ぶ姿がよく見受けられる。「木々は墳丘の負担を減らすため、間引きするようにバランスを見て伐採し、四季折々の花を墳丘の周りに植えています。花々の世話はもちろん、2〜3ヶ月に一度は草刈りを行うようにして、雑草に覆われないよう手入れをしています。津堂城山古墳の保存コンセプトは、まさに人が手をかけながら、人が集う、市民の憩いの場となるように考えられたのです」。いつ来ても、広々として気持ちのいい空気が流れているのは、人に愛される古墳ゆえなのかもしれない。

「古墳と植物の共生 その2」はこちら

■取材・文:古墳を愛するライター・時々添乗員 郡 麻江(こおり まえ)
出版社勤務を経て、フリーランスライターに。2018年、『ザ・古墳群〜百舌鳥と古市89基』(株式会社140B)にて、翌年にユネスコ世界遺産に認定された百舌鳥古市古墳群の89基を専門家とともにすべて巡り、執筆。今までになかった新しい古墳のガイド本として注目を集める。翌、2019年には、関東1都6県の古墳約170基を各地の専門家とともに巡り、『日帰り古墳 関東1都6県の古墳と古墳群102』(ワニブックス社)を出版。2020年には「旅程管理業務主任者(総合・国内)を取得し、古代および世界遺産専門ツアーの添乗員として、ライターとのダブルワークをスタートさせている。「日本旅のペンクラブ」会員。

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華道家 中村俊月 Shungetsu Nakamura
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