「遊休知美」という、ライフスタイルに関する考え方が注目されています。「衣食住」に続く要素で、遊ぶこと、休むこと、知ること、美しくあることが日々の暮らしに大切だという考え方です。SDGsという言葉もなかった20年以上も前に、ブランドを通してこの「遊休知美」という考え方を表現しようとした人がいました。大手ハンドバッグメーカーのクイーポの創業者で、2015年1月27日に他界した岡田國久会長です。「遊休知美」を自然体で表現したいという思いから、1999年にオリジナルブランド「ゲンテン（genten）」を立ち上げました。日本語の「原点回帰」を由来にしたブランドで、手仕事を大切にし、革は植物性タンニンとコットン、麻、シルクなどの天然素材で鞣しているのが特徴です。岡田会長は、レザーアイテムをつくりながら、長野県小諸市で遊休農地を利用した小さな村づくりにも着手しました。「自然と人々にやさしいことを突き詰めればその先にゲンテン村がある」という考えのもと、この場所を「ゲンテン村」と名付け、「遊休知美」を体現していきました。岡田会長がイメージした「ゲンテン村」は、緑に囲まれ、子どもたちが植物を愛で、動物と交わりながら暮らす場所です。遠くには山々がそびえ立ち、まさに「遊休知美」が中心にある暮らしです。

岡田会長は、長野県埴科郡（現在の千曲市）に農家の四男として生まれました。山と杏畑に囲まれ、湧水が出る自然豊かな環境で育ち、幼い頃から畑仕事を手伝っていました。庭ではヤギやニワトリを飼育し、動物や植物に触れ合う毎日でした。自然に対する愛着はこの頃から育まれ、こうした環境での暮らしは岡田会長の哲学に大きな影響を与えました。ただ、岡田会長が「ゲンテン村」を構想したのは、自然への愛着からだけではありませんでした。高度成長期を迎えた日本は、公害問題を抱え、幼少期を過ごした場所も山や森が切り開かれ、湧水も出なくなるのを目の当たりにしました。「人間や大きな動物は逃げることができるかもしれないが、自生する樹木や昆虫は人間の勝手な都合で攪乱されてしまう」。こうした危機感から自然環境を残し、人間らしい生き方や生活様式を取り入れた社会をつくっていきたい、その理念を実現するにはひとつの村をつくりあげるしかないという思いを強くしたのです。実は、「ゲンテン村」を具現化していくことは、「ゲンテン」を立ち上げた時からの究極の理想でもあったのです。

岡田会長の次女で、レザーブランド「創悦」を手掛ける岡田育美さんは、「父は、私たちが自然に生かしてもらっていることをよくわかっていました。父が生まれ育った家では蚕を飼っていましたが、それも自然からいただくものです。自給自足の暮らしのなかで、身をもって自然のありがたみを知っていたのだと思います。細かいことはなにも言わない人でしたが、ものを無駄にすることをとても嫌っていたことをよく覚えています。ゲンテン村は、自然と人間の共生の場であり、植物や動物、そして人に囲まれて人間が最後まで人間らしく生きられるところなのだと、そのようなことを言っていました」。

東京にいる時もできるだけ自然を感じられるようにと住働環境を整えました。自宅には庭をつくり、水撒きを欠かしませんでした。朝顔を育て、毎朝水をあげながら何色の花が咲いたかを書き留めていたそうです。クイーポの本社ビル13階には空中庭園をつくり、杏や桜を植えてその成長と四季の移ろいを楽しんでいました。杏と桜を愛し、特に杏は長野県出身の岡田会長にとって心の故郷として大切にしていました。空中庭園には、杏と桜のほかに山紅葉、榊、オリーブ、レモンなどを植えて、「できるだけ自然のままがいい」という考えからあえてきれいに整えることもしませんでした。生前の岡田会長はよくこの庭を散歩していたそうです。この庭を見ると、自然を愛し、そして人を愛した岡田会長のひととなりを感じます。

岡田会長は、「夢みたいな話だけどね、実現させたいんだ。でもゲンテン村構想はあまりにも壮大で、私の代では実現は無理かもしれない」と、「ゲンテン村」について語っていたといいます。岡田会長が育てた朝顔は家族がいまも大切に育て、その種を毎年収穫しています。岡田会長が撒いた「遊休知美」という種も必ず萌芽し、これからの暮らしにもっとも大切なものになっていくはずです。「ゲンテン村を通して、もっとも人間らしい生き方のモデルを提供したい」という岡田会長の思いは、いまも息づいています。

■「ゲンテン」公式HP：https://genten-onlineshop.jp
■記事参考：「カリスマ彰の週間コラム・シリーズ」クイーポの創業者が残した2つの遺産
https://habane8.com/Akira/134f.htm