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鹿児島・鹿屋「三森製茶」三代目の三森淳さんが伝える、火山灰の大地に根ざすお茶と暮らし

2025.04.18 / 三森 芽依
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九州南部に位置する鹿児島県は、奄美大島や屋久島が連なる諸島部と、本土最南端の大隅半島・薩摩半島から成り立ちます。その地理的条件から、カツオやキビナゴなどの海産物やサツマイモや畜産などたくさんの農産物のある農業県として有名です。なかでも特に、県内全域で営まれているのが、「茶業」です。諸説あるものの、鹿児島県における「茶業」の歴史は古く、鎌倉時代から始まったとも言われています。香り高い茶葉を育てるのに適した土壌に恵まれ、「やぶきた」を始め「ゆたかみどり」「さえみどり」といった品種が栽培されており、今や茶葉の年間の生産量は日本一を誇っています。

この土壌豊かな鹿児島県で「茶業」を営むのが「三森製茶」です。1956年に創業し、現在は三代目の三森淳さんが代表を務めています。「三森製茶」は、「バラの街」としても知られている鹿屋市にあり、深蒸し煎茶の製造と販売、抹茶の原料となる碾茶などの栽培を手掛けています。鹿屋市は、鹿児島湾に面し、高隈山系を有し、過去のカルデラの噴火による火砕流などの体積物によってできた土地です。三森淳さんは、「桜島の火山灰によるシラス台地は、主に笠野原台地とも呼ばれますが、水はけのいい土質のせいで水資源に乏しく、昭和30年ごろまではサツマイモなどを中心にした、干ばつに強い作物のみ営まれていました。それが、昭和42年に笠野原台地の灌漑用として大隈湖を造ったことで笠野原台地に水がくると、水稲や茶、畜産などが営まれるようになりました」と、先人たちの「茶業」に対する取り組みがあって、ここまで発展したと説明します。

「三森製茶」では、煎茶の中でも深蒸しにあった茶葉を育てるために、茶の枝数を少なくして力強い芽を作る茶樹の仕立てを採用しています。冬の茶樹の休眠期間を経た一番茶の茶葉はアミノ酸の含有量が高く、旨味、香りともに一年の中で最もおいしいお茶が収穫できる季節です。収穫した茶葉は、蒸す時間は長く、原料によって甘味を引き出せるよう調整しながら製造しているため、「三森製茶」が作り出す新茶は奥深い味わいと爽やかな香りを楽しむことができると人気です。

「三森製茶」のある鹿屋市は、東に高隈山、南に国見山を望む、自然豊かな土地です。三森さんは、「季節の移り変わりや、時間帯によって変わる空の景色は、何度見ても飽きません」と語ります。春には桜や新芽の緑、夏には濃い緑と入道雲、秋には黄金色の田畑、冬には澄んだ空気と遠くの山々――、そうした風景の中で営まれる茶業は、まさに自然との共生そのものです。

三森さんはまた、茶業の魅力を広めるため、積極的に地域や都市での活動にも取り組んでいます。地元・鹿屋市の生産者グループでの情報交換や共同活動のほか、都市部での鹿屋茶の販売会、小学校での「おいしいお茶の入れ方」教室など、多様な場面で日本茶の魅力を発信しています。「日本茶はただ飲むだけでなく、人と人をつなぐ力がある。だからこそ、もっと多くの人に触れてほしい」と話します。

自然と向き合う仕事としての農業の魅力について問うと、「ウインドサーフィンやヨットが趣味なんですが、自然と向き合うという意味では農業とすごく似ているんです」と三森さん。風や波を読むように、天候や気候に合わせて作業を進めていく――、そんな日々の中で、趣味と仕事が互いに良い影響を与え合っていると言います。

茶畑のそばには、祖母や両親が植えた果樹や草花も残っており、季節ごとに花を咲かせ、実をつけるその植物たちも、三森さんにとって大切な自然の一部です。

自然とともに生きる日々の中で、丁寧に育まれる「三森製茶」のお茶。その一杯には、自然の恵みと作り手の思いが込められています。

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華道家 中村俊月 Shungetsu Nakamura
Shungetsu Nakamura
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